2012年3月23日(金)

06:30

:起床。

2012年3月23日(金)

07:45

:梁川小学校入り。式の準備。

実はこの梁川小学校、三四朗は昨年11月にも訪れている。
もともと、4月に学校コンサートが予定されていたのだが、3.11により学校が支援拠点となり、会場予定の体育館が支援物資で埋まってしまったため中止に。

写真:

梁川小学校卒業式 式場入口。

その後、11月に町の復興イベントのゲストとして再び招かれたのだったが、その時校庭には各所から集められた除染残土が山積みされていた。
校庭は立ち入り禁止となり、今日この日のつい1週間ほど前、3月15日頃になってようやく取り除かれたのだという。
汚染された校庭表土は本来ならば全体を新しい土で覆う必要があるのだが、卒業式を迎えるにあたってとりあえず、通路となる部分にだけ”クリーンな土”が敷かれていた。これでも、放射線量は低く抑えられるそう。
広大な校庭のほんの一部、鉛筆で引いた線のような”クリーンな”部分。その向こうに拡がる世界を見渡すと、汚染の広がりその膨大さに呆然としてしまうが、それでも着実に除染の活動は進んでいる。
その希望を見た。

写真:

汚染土が集積されていた校庭。
通路となる部分(写真左)は土の色が違うことがわかる。

2012年3月23日(金)

08:30

:梁川小学校卒業式開始。

総生徒数は約500名だが、式場の広さからか、卒業生を在校5年生と親御さん、先生方が送るかたち。

名前を呼ばれ、ひとりひとり式場中央に進み、卒業証書を受け取る。
高々と差し上げ、礼をするその姿は、誇らしく、未来への決意に満ちて見えた。

写真:

卒業証書授与。

式の全次第が終了し、いよいよ三四朗の演奏。

写真:

透明な調べが、やさしく、時に力強く、語りかける。

動画:

ジュピター

動画:

フィッシャーマンズ島の少年

動画:

梁川小学校校歌

動画:

遥か

卒業する79名の心に、三四朗の心からのエールはどう響いただろうか。
傷ついた人たちのほんの一部、ほんの小さな一歩だけれど、忘れない、一緒に痛みを感じたい人間がいることが、少しでも、勇気になってくれればと願う。

写真:

心字池と三四朗。

写真:

校庭から見渡す町並み。

2012年3月23日(金)

11:40

:梁川小学校発。

昨日お世話になったみしなさんに昼食をご馳走になる。

昼食後、夕方ライブの予定がある三四朗は福島駅から新幹線で帰京。
同行スタッフ2名は、4月22日にファンクラブで実施予定の「いわき万本桜植樹」イベント下打ち合わせのため、いわき市へ。
東北道は車線規制による大渋滞との情報を受け、一般道で向かうことに。が、こちらも幹線道路は渋滞激しく、途中から裏道ルートで3時間かけ、いわき入り。
現地主催者と面談し、具体的な実施計画を進める。

2012年3月23日(金)

18:00

:いわき発。

夜になって激しさを増した雨の中、常磐自動車道をひた走る。

2012年3月23日(金)

22:00

:無事帰京。

昨年6月の登米・気仙沼訪問から、東北へのレポーター同行は2度目。(三四朗は、8月・11月にも訪れている)
今回は、"ガレキ"こそ見なかったが、目に見えぬ"放射能"の深刻さをそこかしこで感じた。
「若いひとたちはみんな出て行ってしまった。」と語る和菓子屋さんのおばあちゃん。
毎日口に上る話題はまず放射線量という奥様。
とりあえず、"キレイな土"で通路部分を覆った校庭。
もし放射能に色がついていたら、この世界は何色に見えているのだろう。
もはや”バラ色”の未来など望むべくもないのかもしれないが、
せめて、何色にも汚されていない、ありのまま普通の生活を取り戻したい。