2011年6月14日(火)
00:00
:被災地支援、まずは第一歩を。
都内を出発。
大泉から外環にのり、東北自動車道を北上。築館ICで降り、登米市に向かう予定。
写真:
はやくも息が上がる、もとい、意気が上がる2人。
三四朗と同行スタッフ、ドライバーの須能さん。
2011年6月14日(火)
04:00
:東北道北上中
福島通過。
写真:
だいぶ明けてきた。
2011年6月14日(火)
08:00
:登米市に入る。
最初の目的地、白山姫神神社付近で迷う。電話して迎えに来ていただくことに。
写真:
「どの辺りにいるの?」「え~と、田んぼの前・・・」と、田んぼの真ん中で。
2011年6月14日(火)
:朝食。
神主をされている芳賀様のお家で朝食をいただく。
写真:
おかずやお味噌汁に使う野菜は、おじい様が前の畑でつくられているそう。
2011年6月14日(火)
:社へ。
趣きのある社殿への登り口。
写真:
鳥居は石彫り。昭和15年建立の銘。
2011年6月14日(火)
:社殿。
紀元800年頃から続く神社。奥が社殿。手前右は最近建て替えた神楽殿。
写真:
神主を継ぐ久子さんは、毎朝4時からここでお勤めをなさるそう。
2011年6月14日(火)
:社殿にあがり、由来などお聞きする。
ご神体は、手のひらに乗るほどの大きさの女性座像とのこと。
「菊理姫(くくりひめ)」。人と人との間をくくる=仲を取り持つ、との意味があるそうで、仲直り、夫婦円満にご利益があるかも。
「菊理姫(くくりひめ)」。人と人との間をくくる=仲を取り持つ、との意味があるそうで、仲直り、夫婦円満にご利益があるかも。
写真:
3/11はここも激震に見舞われたが、社殿奥の祭壇の上のものは何一つ動いていなかったという。
2011年6月14日(火)
:登米の町へ。
町に下り、武家屋敷の佇まいの中でコーヒーがいただける「春蘭亭」に行ってみる。
が、震災被害により休館中。残念。
が、震災被害により休館中。残念。
写真:
大きく壊れた「春蘭亭」の門。塀や、お庭の灯篭も倒れてしまっていた。
2011年6月14日(火)
:神楽殿で奉納演奏。
芳賀様邸に戻り、社の神楽殿で奉納演奏。
旅の前、三四朗は語っていた。
「何になるかわからない。でもぼくにできるのはサックスを吹くこと。ぼくのできることを、精一杯やることが、一人でもいい。一つの魂でもいい。癒しとなり、慰めとなるなら、とにかくぼくは全身全霊をもってサックスを吹く。」
その想いを、旅の始まりにあたり奉げる。
旅の前、三四朗は語っていた。
「何になるかわからない。でもぼくにできるのはサックスを吹くこと。ぼくのできることを、精一杯やることが、一人でもいい。一つの魂でもいい。癒しとなり、慰めとなるなら、とにかくぼくは全身全霊をもってサックスを吹く。」
その想いを、旅の始まりにあたり奉げる。
写真:
杉木立の間から陽射しがこぼれ、森厳な空気の中を音色がとけていく。
2011年6月14日(火)
:昼食。郷土料理「ハット」。
当初コンビニ弁当の予定で買い込んだが、思いがけず、郷土料理「ハット」をご馳走になる。"ハット"は"法度"のことで、戦を落ち延びこの地にやってきた武将をハットでもてなしたところ、あまりの美味さに、「こんな美味なるものを庶民が口にしてはならぬ」との御法度が出されたことに由来するそう。しかし、ご馳走された側が、ご馳走してくれた人々にご法度を命じるとは、なんとも理不尽・・・。
写真:
「ハット」。カツオ節と醤油ベースの出汁に、小麦粉を練って薄くちぎり延ばしたものと、登米名物あぶら麩を入れて煮込み、ミツバを散らしたもの。
とても美味しかった。
2011年6月14日(火)
13:20
:伊達様と会談。
この地の名士、伊達様邸にて、われわれの今後の支援の有り方についてご相談。
「震災後3ヶ月経ち、肉体的・精神的疲労はみなさん限界に達しつつあるが、そんな中、慰問演奏は大変喜ばれ、力づけになる。」とお話くださる。「今必要なのは、"物"ではなく"心"。人類に託された英知である"芸術・文化"こそ、これからの復興のキーワードであり、"本物"に触れることによる"感動"が"力"になるのです」との言葉。
今回の訪問に際し「"音楽"が行ったところで、いったい役に立てるのか。なにかできるのか。」との不安があったのだが、不安は払拭され、勇気と確信をいただいた。
「震災後3ヶ月経ち、肉体的・精神的疲労はみなさん限界に達しつつあるが、そんな中、慰問演奏は大変喜ばれ、力づけになる。」とお話くださる。「今必要なのは、"物"ではなく"心"。人類に託された英知である"芸術・文化"こそ、これからの復興のキーワードであり、"本物"に触れることによる"感動"が"力"になるのです」との言葉。
今回の訪問に際し「"音楽"が行ったところで、いったい役に立てるのか。なにかできるのか。」との不安があったのだが、不安は払拭され、勇気と確信をいただいた。
写真:
山懐に抱かれた由緒ある伊達様邸。
2011年6月14日(火)
14:50
:いよいよ、気仙沼へ。
伊達様邸を辞し、気仙沼に向かう。不案内のわれわれの為に、伊達様、市民課の河内様がわざわざ先導くださる。
(すぐそこまで、のつもりが、志津川まで先導いただいた。) 三陸道:登米東和からR398。山間を抜け、谷あいの田園地帯を過ぎる。
川沿いに出た途端、景色が変わった。川沿いの平地にガレキが積み重なっている。つぶされた車が重なっている。
そして、港に出た。しづがわ。ニュースで何度も出た地名だ。何もない。鉄骨だけになった建築物がいくつか建っているが、一面のガレキ。
何も、ない。
川沿いに出た途端、景色が変わった。川沿いの平地にガレキが積み重なっている。つぶされた車が重なっている。
そして、港に出た。しづがわ。ニュースで何度も出た地名だ。何もない。鉄骨だけになった建築物がいくつか建っているが、一面のガレキ。
何も、ない。
写真:
R398から志津川港方向。
2011年6月14日(火)
志津川からR45を気仙沼方面へ。
写真:
寸断された気仙沼線。
2011年6月14日(火)
17:30
気仙沼。唐桑さんさん館到着。
福祉施設の体育館が避難所になっていて、中高年層の方を中心に30人程の方々が避難生活を送っておられる。
写真:
唐桑さんさん館到着。
2011年6月14日(火)
19:00
ライブスタート。
三四朗ライブスタート。最初は神妙な面持ちで聴いていたお婆ちゃんも、曲が進むにつれ徐々に入ってきてくれる感じ。美空ひばりの「川の流れのように」では、リズムを取り歌詞を口ずさんでおられる様子だった。
写真:
避難所の物資がつまれたステージに立つ。
手拍子も入り、楽しい曲の中でも一番の盛り上がりは、福岡からの応援職員の方の飛び入り。ブラスバンドでパーカッション担当の彼が、大小2つのバケツをハンガーで叩くパフォーマンスに、みなさん大喜び。
写真:
「どうです。叩き心地は?」
「ビミョーです。」
銀の鈴社提供の「手づくりバッグ」をお配りする。
写真:
「手づくりバッグ」大人気。
みんなで記念撮影。
写真:
みなさんどうぞお元気で。一日も早く、普段の生活が戻りますよう願います。
そして、終演後。荷造りして、まさに玄関を出ようという時、スタッフの一人の方が声をかけた。「ありがとう。でも本当は、レット・イット・ビーをやって欲しかった。高校の時、先生がギターで弾いてくれ、とても感動した思い出があり、サックスでもぜひ聴きたかった。」その言葉に、即座にサックスを取り出す三四朗。玄関ホールで期せずしてのアンコール。一旦は散会したみなさんも再び集まってきて。
みんなが自然に笑顔。そして、ありがとうの言葉。大変な状況にありながら、素直に、心から喜んでくださる姿が、本当に嬉しい。
みなさん玄関の外まで見送ってくださり、名残惜しく会場を後にする。
みんなが自然に笑顔。そして、ありがとうの言葉。大変な状況にありながら、素直に、心から喜んでくださる姿が、本当に嬉しい。
みなさん玄関の外まで見送ってくださり、名残惜しく会場を後にする。
写真:
玄関ホールでアンコール演奏。
2011年6月14日(火)
第1日目終了。宿へ。
気仙沼市街に手配していただいた宿「かどや旅館」に向かう。住む人のいない市街は、本当に暗い。
写真:
迷い込んだガレキばかりの地域に、打ち上げられた大きな船が闇に浮かんでいた。