お話はまだまだ始まったばかりさ。

の頃僕が住んでいたのは、105th.StreetのClombus st. と Amsterdum st. の間だった。ルームメイトはダンサーとデザイナーだった。 そのあたりはスパニッシュハーレムと呼ばれるヒスパニック系の人たちが住んでいる楽しげな界隈だった。 よく夏になると、消火栓を開けて子供達が水浴びをしていた。でっぷり太ったおばさんと、 一日中何もしないでぼーっと外に座っているじいさん達、日中は平和そうな雰囲気で包まれていた。 でも夕方から夜になると若くて気の短そうな連中が動物のような目をしてこっちを見たりあっちを見たりしていた。

みんなお金は無いけどそれぞれ工夫して、それぞれ自分で楽しんでいた。人の目を気にすることはほとんど無かった。そういう訳で僕も屋上に寝て日光浴をしてみた。マンハッタンの古いビルの屋上の眺めっていうのはまた面白い。よく昔の映画で、ビルからビルへととび移ったりするけど、まさにその光景が広がっている。5階建て6階建ての小さなビルが連なる中を、泥棒が逃げる時「何処から何処へとび移れば逃げられるのかなあ」なんて考えたりするのも楽しい感じだ。今はもうほとんど使っていないのだろうけど、煙突が並んでいて、その隣にクーラーのユニットが並んでいる。アメリカ人の暖炉への憧れはとても強い。日本人の忘れてしまった、床の間への憧れみたいなものだろうか?。いや、床の間には憧れないけどな。

夏の日ざしの中、マンハッタンの屋上でソニーのウォークマンなんかしちゃって、のんびりひなたぼっこなんてしちゃった日にはもう最高の気分かと思っていたのだけれども、さにあらず。
空気は悪いし、ビルがすすけて黒っぽいので、異常な温度に熱せられているし、ところかまわず取り付けられた、クーラーユニットからごう音と熱風が出てくるし、作業着をきて汗だくで仕事をしていれば様になるけど、裸ンボで、阿呆ヅラ下げて、サンタン(Sun tan)なんて言っている場合じゃ無いんだろうな?それでも3日くらいがんばってみたけど、やっぱりやめて部屋でラジオを聴いていることにした。

アメリカのラジオって面白い。一体どうしてこんなにいっぱいいろんなラジオ局があるのかな、と思う。 もちろんメジャーはトップ40とかをかけて電話リクエスト、プレゼント付きみたいなことをやってただ喧しいだけだ。その喧しさも、そうとうひどい。あまりにひどすぎて時々聴いてしまう。その上支離滅裂にDJの勝手な感性で、無茶苦茶古い曲をいきなりかけたりする。あ~スッキリしたなんて言いながら。何ごとも徹底していれば強力なエンターテイメント性を発揮するようで、侮れない。アメリカのすごさである。ただ僕の感性にはイマイチ刺激が強すぎるのであまり好んでは聴かなかった。

それよりも、クラシック、ジャズ、ラテン、スペイン語放送、様々なジャンルに分かれていっぱい面白い興味深い放送があった。大学でやっている放送局なんかは年に1、2回(募金活動)Fund Raisingというのをやる。それが彼等の運営費なのである。ある目標金額を定めて、その金額に達するまでなかなか曲をかけてくれない。あと500ドル集まればマーラーの交響曲をかけてやる、なんて事を言いながら、どんどん募金させていく。まるで大道芸人である、バナナの叩き売りと一緒なのである。ただ、とても品性がある、決して叫ばない。深い声で、文化の大切さをほのめかしながら、今まで積み重ねて来た、功績を噛み締めながら、視聴者に感謝をしながら、さらなる未来を見つめてあと500ドルと言う。お金の無い僕でさえも1ドル札を握り締めて、ラジオ局に駆け付けたい気分にさせられる。こう言っちゃわるいけど日本に帰って来てから、24時間テレビというのをみて、そのやり方の違いにショックをうけた。ここでも日本はアメリカにはるかに劣っている。それも日本全国でとてつもない金額を集める(募金活動)Fund Raisingが、そのやり方において、小さな大学のそれに遥かに劣っているような気がするのは僕だけ?
とにかくなんでもかんでも、でかくすればいいやなんて大雑把で粗野な感性のアメリカでも文化の多様性がある分、ラジオ局は面白い。